研究課題/領域番号 |
16K02564
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
番場 俊 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (90303099)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 記号論 / 顔 / 身体 / ドストエフスキー / バフチン |
研究実績の概要 |
本研究は、(1)バフチンとヴィゴツキーの記号論の比較、(2)19世紀小説における観相学的言説の検討、(3)20世紀芸術・芸術論における身体の地位の考察、(4)ロシア記号論の現代的意義の検討を組み合わせることによって、ロシアにおける二つの記号論の潮流の対立を明らかにすることを目指している。本年度は(2)と(3)の課題を中心に進めた。 (1)については、1940年代の草稿を中心に、バフチンにおける顔の主題を検討した。 (2)小説論においては、19世紀的な顔の言説が徴候的にあらわれているテクストとして、ドストエフスキー『白痴』(1868年)を考察の中心と定め、作品論として完成させるための作業に着手した。まず、ドストエフスキーに大きな影響を与え、『白痴』の隠れた構想源にもなっていることが指摘されているラファエロ《システィーナの聖母》(1512/13年)に注目し、この絵に対するドストエフスキーの反応を、カラムジン以降のロシアの作家たちによる受容の歴史のなかに位置づけることを試みた。さらに、顔のスケッチとカリグラフィーをふんだんに含むドストエフスキーの創作ノートを検討し、同時代のトゥルゲーネフらによる社交遊戯である「肖像ゲーム」と比較した。 (3)については、顔に対する19世紀的な感性の特質を明らかにするために、20世紀以降の顔の言説、および顔を中心的な主題とする芸術作品との比較考察を行った(エイゼンシュテインのモンタージュ論、バラージュとドゥルーズのクロースアップ論、ルフの写真、ボルタンスキーのインスタレーション、アニメーション論など)。 (4)については、「個体化の原理」と「顔」の関係に関するアガンベンの考察(『到来する共同体』)、マッスミの情動論(Parables for the Virtual, Duke Univ. Press, 2002)ほかを検討した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
(1)~(4)の各課題の成果をドストエフスキー『白痴』の作品論において結びつける糸口を発見しつつある。とりわけ興味深かったのは、《システィーナの聖母》に対するロシア作家たちの崇拝、ならびに近代ミュージアムの歴史においてドストエフスキーが果たしていた役割であって、彼の美術館体験において、(a)美術館というメディアが、眼のみならず、身体の全体を巻き込む情動的体験の場であったこと、(b)転位ないし侵犯のメディアとしての美術館に取り込まれたイメージが、文学やジャーナリズム、写真といった他のメディアと交錯しながら変容していったこと、さらには、(c)幾重にも折り畳まれたメディア的経験のただなかから、「人間の顔」が哲学的ないし実存的とでもいうべき問題として浮上してくるさまを見届けることができた。Stephen Hutchings, Russian Literary Culture in the Camera Age, Routledge, 2004からは、顔に対するドストエフスキーとトゥルゲーネフの態度を比較対照しながら検討する可能性について示唆を与えられた。「映像の受容における情動の優位」を主張するマッスミの情動論からは、『白痴』のナスターシャ・フィリッポヴナの顔が、彼女に向かい合う者に与える「苦しみстрадание」ないし「同情сострадание」の感情が、「情欲страсть」ないし「情欲страстнотсь」と区別しがたいものとして提示されていることの意味を解釈する鍵を与えられた。
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今後の研究の推進方策 |
今年度は、上記(2)において、ドストエフスキー『白痴』の作品論を完成させることを最重要課題とし、(1)、(3)、(4)を平行して進める。 (1)では、前年度に進めることができなかったヴィゴツキーの著作の検討を開始する。本研究の着想の出発点となった未発表原稿の改訂からはじめるが、バフチンとの比較において鍵となるのは、「芸術が実現することのすべてを、芸術はわれわれの身体において、またわれわれの身体を通して実現する」というヴィゴツキー『芸術心理学』(1925年)の一節であり、また「社会的なるもの」に関するバフチンとヴィゴツキーの解釈の相違である。 (2)小説論においては、さらに、『白痴』の主題としての顔を、写真の普及という当時のメディア史的環境の変化と関係づけながら論じるとともに、20世紀の映画や美術と比較することによって、そのアクチュアリティを再検討することが課題となる。 (3)において中心となるのはエイゼンシュテインの映画論(「映画形式」1934年、「ミザンセーヌの問題によせて」1948年ほか)であり、(1)や(2)の課題とも関連させながら、20世紀における観相学的言説の変質、ヴィゴツキーとエイゼンシュテインの相互交流に関する検討(イヴァーノフ『ソ連記号論史概説』1976年)を行う。 (4)においては、現代ロシアの哲学者ポドロガの著作を検討する予定である(『身体の現象学』1995年、『ミメーシス』第1巻、2006年ほか)。
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次年度使用額が生じた理由 |
平成28年度に予定していた外国での資料調査をおこなうことができなかったため差額が生じた。
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次年度使用額の使用計画 |
平成28年度にできなかった外国での資料調査を、平成29年度に予定していた資料調査とあわせておこなうことを検討中である。
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