本研究は、(1)バフチンとヴィゴツキーの記号論、(2)19世紀小説と同時代の観相学的言説の関係、(3)20世紀芸術・芸術論における記号と身体の地位、(4)ロシア記号論が情動論をはじめとする現代思想の動向にとってもつ意義といった問題を並行して検討することによって、おもに19世紀後半から20世紀初めのロシアの事例に即しつつ、記号をめぐる想像力の二つの大きな潮流の対立を明らかにすることを目指した。 (1)については、(2)の課題と関連づけながら、ドストエフスキーの小説とバフチンの記号論が、人間の「顔」の意味作用とその変容をめぐるものであることを明らかにするとともに、ヴィゴツキーの記号論が、記号の問題を人格的なものから切断することによって可能になっていたことを明らかにした。 (2)については、ドストエフスキー『白痴』の作品論を中心に検討を進め、モノグラフを執筆して2019年4月に上梓した。 (3)については、ヴィゴツキーの内言論から大きな影響を受けたエイゼンシュテインの映画論を検討するとともに、「声」と「顔」をめぐる言説が、20世紀前半のロシアにおいて、芸術と宗教と政治の境界において出現していたことを明らかにした。 (4)については、現代の情動論から出発して、アリストテレスが悲劇の根本情動として挙げた「あわれみとおそれ」の20世紀的受容の一事例として夏目漱石のテクストを検討し、2度の研究会報告をおこなった(2019年3月および9月)。 最終年度では、(1)(2)の課題に関連して、メロドラマ的想像力における記号の類型に関する検討結果を国際学会(Zoomオンライン開催)で発表し、2019年の国際学会で発表した論考の改訂版を紀要論文として発表するとともに、(3)の課題に関係して短いエッセイ(「声と顔――文学と美学と政治におけるビザンツ的インパクト」)を執筆した。
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