この企画によって、リルケの詩論が、同時代の一世を風靡した、カール・デュ・プレルのスピリティズムを継承するものであることが判明した。第一に、「自動筆記」の方法において、第二に、「意識のピラミッド」とされる詩作装置の構造図において、デュ・プレルの影響は拭い難い。詩人は「霊媒」として、ほとんど生涯をかけて、聴きつつ言う者であろうとした。事実多くの著名な作品を残したが、詩人と霊媒と死者(神的なる者)の一体体験の至福の瞬間は、持続的に維持できるものではなく、絶えず分裂に苛まれた。かつては宗教的祭祀であった降霊術が、芸術の方法となったモデルネの時代の、それは宿命であったのだろう。
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