本研究は、中国で1917年から始まった文学革命が、1910年代前後の欧米の文化動向に直結し、中国一国の範囲で扱われるべきものではないことを明らかにすることをめざした。 最終年度においては、以下を重点的に扱った。 (1)胡適が1916年にアメリカから帰国したとき、同時代中国の文学研究者として唯一高い評価を与えたのが王国維(1877-1927)である。この評価の高さに着目し、王国維の抒情詩論『人間詞話』を、著者自筆稿本・初出誌の複写に拠り、竹村則行氏らの先行研究も参照しつつ、明治日本にヨーロッパからもたらされた文学論や中国の伝統的文学評論の影響について検討し、胡適の『詞選』などの詩歌批評への影響について検証した。 (2)胡適の演劇批評および戯曲の実作が、中国伝統劇と欧米演劇・戯曲の双方を背景として形成されたものであることを、1919年の胡適の戯曲「終身大事」を対象に調査し、とくにアメリカの学生演劇との関連性の深さについて新しい知見を得た。 (3)明治日本の言文一致体の形成にあたって、明清代の俗語小説からも影響を受けていることを論証するために、幸徳秋水「鳥語伝」と明代小説『七十二朝人物演義』を資料として詳細な比較をおこなった(なお幸徳「鳥語伝」が『七十二朝人物演義』を踏まえていることを最初に指摘したのは、北京大学から京都大学に来ていた周旻氏である)。これにより、東アジアの近代文体の形成に中国俗語小説が果たした役割について新しい知見が得られた。 (4)中国の近代文体・近代小説が、電報・電話という新しいメディアの導入・普及からも影響を受けていたことを、20世紀初期の英語新聞雑誌・中国文人の日記等を利用して明らかにした。 以上の研究結果を踏まえ、2019年11月に台湾大学中文系主任の梅家玲教授ほかを京都大学に招き、国際ワークショップを開催し、同月、平田が台湾大学を訪問して連続講演を実施した。
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