後漢末3世紀初頭の建安文学について、先立つ漢代宴席文芸からの継承という視点から、その歴史的位置を捉え直すことを目的とした本課題は、3年間の研究を通して、その端緒を開くことができたと言える。 実績の第一として、五言詩に詠史詩という新ジャンルが誕生した経緯の究明がある。漢代の宴席では様々な芸能が行われていたが、その中に、歴史故事を題材とする語り物文芸がある。他方、五言詩という新興の詩型も同様の場で発生展開してきた。この異質な両ジャンルが、同じ宴席という場で出会ったこと、これが五言詠史詩の発祥であると推定した。更に後漢末の魏の建安文壇に至っては、曹魏独特の君臣関係がもつ緊張感の中で行われていた談論が、詠史詩の競作という文学活動の中に流れ込んでいる事例をも示した。第二に、楽府詩に多く歴史故事が歌われる理由も解明した。民間歌謡に出自を持つ楽府詩は、後漢時代に入ると上流階級の催す宴席で盛んに歌われるようになっていた。もともと通俗的な楽府詩と、宴席で行われる語り物の歴史故事とは親和性が高かったはずである。 最終年度に当たる平成30年度は、以上の考察を検証すべく、建安文学を代表する曹植の詩歌を中心に精読していった。その過程で、曹植が前代の遊戯的な文芸作品を、個人的な思いに根ざす対自的な表現に転換している事例、及びその独特な表現が近い時代の人々に受容されている事例に出会い、この時期のいわゆる「文学の自立」という問題を、表現の授受という側面から明らかにし得るのではないかとの着想を得るに至った。また、これに平行して、本研究課題、及びその基盤となった漢代宴席文芸に関わるこれまでの実績をオープンアクセス化するため、報告者自身の研究内容を公開するホームページの作成を行った。テストサイトはほぼ出来上がり、2019年5月中には公開予定である。
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