研究課題/領域番号 |
16K02610
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研究機関 | 日本大学 |
研究代表者 |
安元 隆子 日本大学, 国際関係学部, 教授 (40249272)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | スベトラーナ・アレクシエーヴィチ / 最後の証人たち / ボタン穴から見た戦争 / 独ソ戦 / 証言 / 見ることと語ること |
研究実績の概要 |
今年度はスベトラーナ・アレクシエーヴィチの『最後の証人たち』について検討した。 第一作品『戦争は女の顔をしていない』と同じ独ソ戦を扱っているが、『最後の証人たち』は子供たちの目から見た戦争を書いている。同じ戦争を語りながらどのような違いがあるのか明らかにした。それはまず「戦争の色」である。ナチスの制服の「黒色」をはじめとして「色彩」の記憶が多用されていることを明らかし、また、子供たちは「見る」ことを強いられ、「見る」ことしかできない存在としてあると指摘した。 ただ、初出と後の著作集を比較すると、「見る」存在から「最後の証人」として「語る」存在への志向性が生まれていることも指摘した。今後、このような子供たちの惨劇が繰り返されないようにするためにはどうすべきか、という問いに対する作者の答えがここにあると結論づけた。また、「見る」ことから「語る」ことへの志向が特に顕著なのが冒頭の証言であることや、こうした作者の意識の変化は、初出から著作集への編集過程の様々な箇所に見られることも指摘した。 併せて三浦みどり氏の日本語翻訳についても考察した。時間軸にそった配置換え、『ボタン穴から見た戦争』というタイトルなど、新たなバージョンが生み出されたといえるが、その翻訳に敬意を表しつつも、三浦氏の付したタイトルでは「最後の証人」という言葉の底にある作者の想いが消去されてしまう可能性を指摘した。また、冒頭と末尾の証言は呼応しているのであり、決して時間軸に沿った形では収まり切れない作者の意図があることを指摘した。 そして、副題の「子供たちの話ではない本」=子供時代が失われた子供たちの証言集から、「子供の声のための独唱曲へ」=子供の目を通してみた一人一人の証言、への変更についても考察した。そして、戦火の中でも「人間」として生きることを凝視した作者の視線は前作と変わらないことも指摘した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
夏期及び春期休業時にロシアに資料収集に行く予定であったが実施できなかった。 夏は日露交流の原点としてのヘダ号建造の物語について科研費プログラム「ひらめき☆ときめきサイエンス」を実施しその準備に追われたため、春期に資料収集を計画していたところ、調査出発直前の夫の脳梗塞に伴う入院、看護のために、急きょ渡航を断念せざるを得なくなった。そのため、今年度は国内にて入手できる範囲での資料を用いて作品論を執筆したが、現地での資料調査を活かすことができなかった。
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今後の研究の推進方策 |
今年度に続けて、戦争を扱った『アフガン帰還兵の証言』を検討していく。夏季休業を利用してロシアにて時代状況、アフガン帰還兵の実態、及びこの作品を巡る裁判の詳細について調査し、作品論に活かしていきたい。 上記が終了すれば、まだ論じていない作品はソビエト崩壊についての『死に魅入られた人々』と『セカンドハンドの時代』の2作品となる。現地にての文献調査の際に併せて、ソビエト崩壊時の社会的状況を調べ、作品論を執筆したい。なお、その際、他の作家たちがこの問題をどのように作品に沙ているのかを、ワレンチン・ラスプーチンなどの作品と比較検討する。 証言が文学に変わる、そのメカニズムについては、これらの作品論を執筆し終えたのちにまとめたいと考えている。
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次年度使用額が生じた理由 |
文献やメディアなどに登場した作品の評価や時代状況など、現地での資料収集をする予定であったが、昨年度は研究者自身の病気、今年度は他の科研費プログラムの実施準備により時期を遅らせたが、夫の入院と看護の必要により、急きょ取りやめざるを得なくなり、旅費の使用が予定より少なくなったため。 次年度はベラルーシとロシアでの調査を2度行い、計画通り使用する予定である。
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