本研究は、「かな」の成立過程を明らかにすることとともに、平安時代において仮名が万葉仮名と通称される「真仮名」から「かな」に切り替わる理由・必要性を明らかにすることを目的としている。これまで、漢字仮名まじりの表記では、仮名が漢字と視覚的差異のある字形であることに表記上の利便性があることを明らかにしてきたが、仮名を主体とする和歌表記において、優れて表音的な「真仮名」に代わり「かな」が必要とされる理由については明確にできていない。この謎に迫るため、本研究では、東京国立博物館蔵「神歌抄」(醍醐天皇曽孫の源信義筆と伝えられる神楽歌を仮名書きした巻子本)の表記研究に取り組んできた。それにより、不明であった「神歌抄」の書写年代は、9、10世紀の仮名資料の仮名字母・仮名字形と比較した結果、10世紀半ば頃とされる土左日記の「かな」の特徴に近いこと、加えて「神歌抄」には上代特殊仮名遣のコ甲乙の区別、ア行のエとヤ行のエの区別がなく、「措く」にのみオ・ヲの混同が認められることから、仮名字体・音韻面で10世紀半ば頃の特徴が認められることを明らかにした。「神歌抄」に特徴的な表記様態の特殊性(真仮名、非連綿の「かな」、連綿の「かな」の3つの様態に分けられる)については、歌の節回しを書き留めるのか、歌意を書き留めるのかの二つの指向が働いたためであると考えられる。非連綿の「かな」は他の資料に見られないものであるが、9、10世紀の連綿体の特徴(文字の最終字画と次の文字の第一画を連綿で繋げるため、連綿は右から左の斜線となるが、これは「かな」一字ごとの独立性が高いことを示している)と同様に、「かな」が真仮名のように音節を書く文字から語を書く文字へと転換する過渡期の現象であることを明らかにした。加えて、契沖の仮名遣に関する著作から近世の真仮名観の一端を明らかにした。
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