本年度は国語読本、習字帖、漢文の全てに渡る図書審査記録の資料の文字おこしを終了し、内容を検討した。その結果、二人の編纂者の関与が非常に大きいことを確認した。特に大矢透の関与は大きく、その時の草稿が、東京大学史料編纂所に所蔵されていることがわかったが、手を尽くしたものの閲覧には到らなかった。この二人の編纂者については台湾国史館文献館主催の第一〇回台湾総督府文書研討会で発表をし、席上山口喜一郎についての質問を受け議論した。また、論文として同研討会論集に投稿した。 一方、審査記録の分析からは教科書で使用する言語について委員から様々な意見が述べられていることも明らかになった。児童が将来内地へ行くことも考え、方言を盛り込むこと、特に関西方言は必要であるとの意見もあった。 内地の資料では最終的に二人の編纂者が渡台前に関与した教科書と児童向けの読み物に絞った。明治期の教科書でありながら編纂者生死不明を理由にコピーが一部しか許可されなかった図書館があったことなど収集に手間取ったためである。 二人の編纂者の関与した教科書は基本的に文語文で書かれているが、低学年の教材、話し言葉、書簡文に口語文が使用されており、この口語文を中心に文末部の一覧を作成し、分析した。その結果文体は同一執筆者でも統一されていないことがわかった。つまり、当時の教科書は同一の執筆者でも文末部などに顕著な文体の差異と呼べるものが存在するのである。この差異が執筆者本人の意図によるものか、別の原因によるのか、新たな課題となった。現在想定するに、国内で教科書官業化に立った伊澤派のひとりであった大矢達と、新興教科書書肆の筆頭であった金港堂主原亮三郎達グループの一員であり国語・国字問題に鋭敏であった三宅米一等の考え方を明らかにすることで一定の結論を導き出せるのではないかと考えるが、検討が必要である。この成果は今秋公表の予定である。
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