研究課題
基盤研究(C)
源平の内乱期中(1180-1185年)には、飢饉が多発し、内乱終了直後に巨大地震が起こった。その期間中に気候が異常だったのが、京都で飢饉が発生した唯一の原因ではない。反乱が起こったことで、納税者たちが、朝廷と荘園領主たちに、租税や年貢の支払いを滞納し始めた。そのため京都の住民も多く餓死したのである。また戦乱が続いた結果、京都に建築資材や大工たちを、集めることが難しくなった。多くの住宅のメンテナンスが、不十分な状態が続いたので、地震が起こった時、被害がより拡大してしまった。
日本史学
戦争は戦闘員だけが死傷などの被害を被るだけではなく、直接戦場にいない住民や社会システムにたいしても破壊的な影響をおよぼすことがある。源平内乱の結果、年貢や租税が上納されなくなることで都人の食糧の確保が困難になり飢餓状態が訪れた、また建物などのメンテナンスも不十分になり、その状態のまま戦争終了直後、巨大地震が発生したため、想像以上の被害が発生した。その事例研究である。