研究課題/領域番号 |
16K03014
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 奈良女子大学 |
研究代表者 |
河上 麻由子 奈良女子大学, 人文科学系, 准教授 (50647873)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 天下 / 東アジア / 都城 / 仏教 / 転輪聖王 / 遣隋使 / 遣唐使 / 倭の五王 |
研究成果の概要 |
雄略天皇の時代に作成されたとされる銘文に、漢籍史料で皇帝の支配領域を指す言葉である「天下」が使用されたことから、先行研究では日本古代には中国的な「天下観」(≒日本こそが中華であるとの認識)が導入されていたと考えられてきた。しかし本研究では、同時代中国の史料では「天下」は基本的に皇帝の直接支配領域を指すということ、中国皇帝以外の君主の支配領域を「天下」と表現する外交文書が存在すること、また仏典では須弥山四周の大陸が「天下」と翻訳されるなど「天下」は柔軟に使用されていたことを明らかにした。よって、銘文の存在をもって日本的天下観が5世紀に誕生したと考えることはできないと結論づけた。
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自由記述の分野 |
東アジア史
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
先行研究では、5世紀の日本で日本を中華とする「天下観」が誕生、倭の五王のように中国の冊封を受けることができなくなって中国との交渉を一時停止し、時代が降って遣隋使は中国との対等を主張したと説明されてきた。しかし5世紀に日本的な「天下観」が誕生したということはできず、また河上がこれまでの研究で明らかにしてきたように、遣隋使は中国との対等を主張するものではなかった。かつて東野治之らが明らかにしてきたように、遣隋使の後に続く遣唐使は朝貢(中国の臣下として行う交渉)であった。倭国(日本)の対中国交渉とは、倭の五王の時代から遣隋使・遣唐使に至るまで、中国の最新情報に基づいて実利を追求したと論じた。
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