研究課題/領域番号 |
16K03022
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研究機関 | 京都市立芸術大学 |
研究代表者 |
武内 恵美子 京都市立芸術大学, 日本伝統音楽研究センター, 准教授 (30400518)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 藩校 / 雅楽 / 楽思想 / 岡山藩 / 鴨方藩 / 熊沢蕃山 / 浦上玉堂 / 琴 |
研究実績の概要 |
今年度は岡山県を対象とした。岡山は岡山藩を中心とし、藩校が全国的にも最初期から設立されていた地域である。学問も盛んで、陽明学者熊沢蕃山(1619-1691)や文人・浦上玉堂(1745-1820)等も輩出していることから、当該年度は岡山藩を中心に調査研究を進めた。 岡山藩は鴨方藩と生坂藩の2つの支藩を有していたが、在国における独自の政治的・教育的・文化的機能はほぼなく、藩校支藩独自の学校は持たず、岡山藩の藩校に入学し、教育を受けていた。 初代藩主池田光政は寛文6年(1666)に藩校を開設し(石山仮学館)寛文8年に正式な藩校として機能するようになった(国学)。これは全国的に見ても最初期の藩校である。光政隠居後は低迷し、再度盛り返すのは5代藩主治政(1750-1819)の時代だが、藩校は初等教育を行い、より専門的な学問は私塾で行われた。したがって、岡山藩校は次代を担う優秀な人材の育成という機能を持ち得なかった。 藩校での教育は儒学と武芸が中心であったが、光政時代には、神職教育の一環として雅楽教習が行われた。ただし藩校の縮小とともに排除されたと推測できる。光政は雅楽を藩校で教習させるだけでなく、自身も雅楽を愛好し、保護・奨励していた。そのような環境は、熊沢蕃山の楽思想の展開や、浦上玉堂を生み出す原動力となっただろう。 鴨方藩士・浦上玉堂もまた、雅楽を得意とし、城下で雅楽を教えていたとされ、さらに脱藩後には会津で神楽の再興に携わった。また、鴨方藩士時代雅楽の一種・催馬楽を琴の伴奏で復元し、寛政3年(1791)に『玉堂琴譜』を刊行した。これらは、熊沢蕃山から続く岡山藩の楽思想や楽教習に係る学問的土壌を有していたことと無関係ではないだろう。 岡山藩は、藩校において楽教習は行っておらず、藩校もまた人材育成という側面を持たなかったが、培われた学問的展開は、独自の形態があったと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
岡山藩の調査はほぼ終了した。藩校での雅楽教習とともに、それがもたらす影響を検討しつつ、楽思想の在り方と実際の雅楽の環境を検討することができた。この2点の意味で概ね順調に進展してると考えている。
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今後の研究の推進方策 |
今年度は実際に藩校で楽を教習していたとされる藩のうち、水戸藩・会津藩を中心に調査研究を行う予定である。水戸藩・会津藩は、藩校の中でも規模が大きく、藩校史を考える上でも非常に重要な藩であるため、その実態を明らかにしておきたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
2017年3月に予定していた国際学会参加(シンポジウム)ができなくなったため、予算の消化ができなかった。年度末だったので、他の形で使用するのではなく、次年度の国際学会発表に回す形にしたため。
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次年度使用額の使用計画 |
2017年7月に、ICTM(International council for Traditional Music)に参加、発表予定。
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