佐渡金銀山における採鉱・選鉱・製練・小判製造等の一連の工程を描く佐渡金銀山絵巻は、1730年代頃に製作が開始され、幕末までの100年以上にわたり、その時々の新技術の導入や経営の変化を反映させながら描き継がれたことがこれまでの調査で明らかになっている。本調査では技術書も絵巻と同様、新技術の導入や経営の変化を反映させて、18世紀中頃から書き継がれていることがわかり、両者を連関させて検討することで、佐渡金銀山の経営・技術がビジュアルかつ詳細に解明できることを考察した。 具体的には、坑道掘削や鉱石採取に従事する金穿大工の掘削技法や、採掘鉱石を佐渡奉行所と採掘業者が一定の割合で分配する「荷分け」などについて絵巻と技術書の双方の連関から考察した。 また、技術書を検討するなかで、佐渡金銀山の隆盛を支えた製錬技術のひとつである灰吹法に使用された灰は、18世紀前中期頃には骨灰ではなく、樹木の灰であったことを明らかにした。また、佐渡小判製造過程において、金品位を高めるために行われた「焼金」という特徴的な製錬技術について検討し、元文小判(金65.7%)製造時の焼金における砕金と塩の配合量や、慶長小判(金86.8%)と元文小判の焼金に要する時間の違いについて指摘した。 以上の成果の一部は、「佐渡金金山の間切について」(『新潟県立歴史博物館研究紀要』21、2020年3月)、新潟県立歴史博物館所蔵『佐州山出金銀吹方鏈石其外品合留帳』『佐州金銀山諸道具其外名附留帳』『佐州相川小判所金銀焼立仕上覚留帳』、新潟県立歴史博物館所蔵『佐渡金銀山絵巻』(断簡)として活字化した。
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