平成31年度は、これまで茨城県立歴史館や徳川ミュージアムで収集した史料の整理・分析に努めた。特に力を入れて分析したのは、水戸藩の浄土真宗寺院のなかでも、二十四輩と呼ばれた有力寺院の動向である。例えば、岩船願入寺や河和田報仏寺は、江戸時代後期になると、略縁起を作成して、寺宝などの喧伝に努めている。しかし、その語りは、古くから伝えられてきたものをそのまま引き継いでいるわけではなく、水戸藩の宗教政策や浄土真宗学僧の歴史考証に影響を受け、大きく変化を遂げている。現在の地誌叙述に引用されることも多い略縁起の語りは、時代ごとに書き替えられながら、次第に我々が良く知るかたちへと整えられていったわけである。本研究では、こうした寺院由緒の多層的変化のあり方や、書き替えへと至る決定的な契機について、明らかにすることができた。 また、水戸藩における史蹟顕彰のあり方と比較すべく、福山藩の動向にも注目してみた。福山藩では、元禄年間(1688~1704)に藩主水野氏が継嗣断絶によって改易処分となる。しかし、100名以上の旧福山藩士が、牢人として藩領内に留まり続け、旧主菩提寺の整備などに努めた。水戸藩のように、個性的な藩主が強力に地域の史蹟顕彰に乗り出す事例もあれば、福山藩のように、不遇をかこつ牢人たちが自らのアイデンティティーを保つため、史蹟顕彰に励む事例もあったわけである。このような水戸藩とはかなり異なる史蹟顕彰のあり方に分析の手を加えることができたのも、今年度の大きな研究成果であった。
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