本年度では、19世紀後半期に於ける東アジア海域への汽船燃料である石炭供給がどのように行われ、スエズ運河・アメリカ大陸横断鉄道の開通後急速に拡大する海上交通需要にどのように対応したのか、を日本炭の輸出に即して解明することに重点を置いた。 日本産石炭に対する需要は、すでにペリー来航時から世界的に注目されており、アメリカの対日戦略の重要な柱としてペリーの派遣時から明確に意識されており、それを受けてペリーの対日要求にも明記されていたことはすでに明らかにした。 今年度は、そうした石炭供給の要求に日本がどのように対応したのか、を明確にすることを主目的とした。そのため、分析は国内資料の収集と分析が主たる作業となり、当初計画していたイギリスでの資料調査を断念することとなった。 主に「通商彙纂」や「佐賀藩資料」などを用いて、高島炭鉱のアジア輸出を分析した結果、2点のことが明確となった。第一は、輸出のみならず、国内開港場での供給が過半を占めており、いわゆる貿易統計では把握できない事実上の輸出が存在したことである。これは、幕末・明治期における日本の貿易構造に関する新たな見直しの必要を迫るものであった。第二は、貿易統計で把握できる石炭輸出に限っても、これまで指摘されていた以上の質量ともに圧倒的な日本炭の供給が行われていたことが明確となった。 以上、3年間に亘る成果として、日本の開国・開港が同時期において世界的に急進展していた交通革命の推進役として重要な役割を果たしていたことが明確となった。
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