本研究は、寛政期以降天保期までの異国船の打ち払いをめぐる歴史過程を再検討し、異国船の打ち払いが、幕府の権威と国家領域の形成の二つの問題に対して、どのように作用したのかを解明することを目的とする。この解明のためには、時系列に沿って研究を進める必要があることから、①寛政期から文化期までの対ロシア外交における打ち払い令と打ち払う行為の歴史的意味を確定させること、②①で得られた結論を指標として、文化・文政期の問題、③天保期の問題へと研究を深めていく計画をたてた。 今年度は、①について、北海道立文書館寄託の阿部家文書を調査し、寛政期のラクスマン来航を国家領域形成の観点から再検討した。その結果、この事件を契機として、打ち払いが、国権の作用する場とそうでない場=領域の内と外を規定する意味を持つにいたったこと、この時点では、蝦夷地が打ち払われない=日本の領域外に位置づけられたこと、こうした位置づけが近世日本にとって重い意味を帯びていたことが明らかになった。 また、②について、文化期に、幕府が異国船打ち払い令を発令するに到った論理を究明するため、遠山景晋の「籌海因循録」をはじめ、京都大学附属図書館所蔵の「海防彙議」の調査を適宜進めるとともに、太田南畝関係資料をはじめ向山誠斎の「蠧余一得」等内閣文庫所蔵の資料調査を実施した。
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