敗戦当時、参謀本部第二部長であった陸軍中将有末精三は、陸海軍の指示により進駐するアメリカ軍との連絡・調整を担う通称「有末機関」を結成し、マッカーサー率いる進駐と大本営との間に立ってさまざまな活動を行った。その実態は、本人の回想などを除いてほとんど知られることはなかった。また、国立国会図書館憲政資料室に所蔵される「有末精三関係文書」には、当該時期の日記が欠落している。そうした中で、1945年8月末から10月にかけて、有末自身が記録した史料『横浜機関書類』『備忘録』の全部を筆耕し、有末機関が取り組んだ課題を明らかにし、解説を付した報告書を作成することができた。
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