研究課題/領域番号 |
16K03052
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研究機関 | 滋賀県立大学 |
研究代表者 |
東 幸代 滋賀県立大学, 人間文化学部, 准教授 (10315921)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 日本史 / 近世史 / 流通史 / 琵琶湖 / 舟運 |
研究実績の概要 |
本年度の研究課題は、18世紀中期以降の大津地域の舟運動向の解明であり、大津市歴史博物館が所蔵する現大津市内の古文書を主たる調査対象とした。とりわけ注目したのは、大津百艘船と近世琵琶湖舟運全体の統括役ともいえる堅田浦との関係である。従来の研究では、「諸浦の親郷」とされる両者の関係は、近世初期の支配系統の側面に限定して検討されてきた。 琵琶湖舟運の衰退期にあたる当該期は、積荷の減少により両者間の摩擦が大きくなり、争論が発生する。関係史料を検討した結果、まず、堅田浦の5つの機能が判明した。①琵琶湖全浦の廻船の統括、②①に関連した諸浦役人の就任許認可、③政権発給の証文の保持、④諸浦の親郷三か浦の廻船自由の保障、⑤瀬田橋の修復の際の諸浦への伝達、および現地詰め、である。ただし、堅田浦は、自浦から出す荷物が多くはないため、自浦で大型の丸子船を保持できず、大津百艘船仲間から船株を借用することで大丸子船を所持し、大津浦から荷物を積み出している。諸浦には「堅田廻船株」を認めることで艫折廻船を許可する一方で、大津浦から株を借用することは一見整合的ではないが、大津浦との歴史的関係や堅田浦の地理的な特性に基づいたあり方である。 また、年度途中には、当初の予定にはなかった史料を調査する機会に恵まれた。湖北地域に位置する山村の菅並村(現長浜市余呉町菅並)の横山家文書である。三河吉田藩領である本村には、領主違いの彦根藩の御用炭問屋をつとめる家があり、集荷された炭は、彦根藩領の湊である飯浦湊(現長浜市木之本町飯浦)まで陸上で運ばれ、湊から船で彦根城下へ持ち込まれるという固定ルートがあることが判明した。 このほか、琵琶湖の内湖である西の湖(現近江八幡市)畔で葭問屋を営んでいた家の古文書の調査を通じて、舟運による葭流通の一側面が明らかになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度の課題は、18世紀中期以降の大津地域の舟運動向の解明であったが、「研究実績の概要」で記したようにおおむね達成された。また、撮影を含めた古文書調査や読解に時間を有すると考えていたが、一部の古文書が史料集として刊行されており、それを入手することで研究をスムーズにおこなうことができた。
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今後の研究の推進方策 |
引き続き、琵琶湖舟運にかかわる史料の調査を関係諸機関でおこない、残された課題である「船支配を担っていた幕藩領主層の対応の解明」をおこなう。
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次年度使用額が生じた理由 |
一部の古文書が、史料集として刊行されており、当初見積もりより研究代表者の調査旅費、及び大学院生・学部生の調査にかかる出勤日数が少なく済んだため、次年度使用額が生じた。 次年度は、予定通り、国内旅費のうち滋賀県内調査旅費を利用して史料所蔵諸機関を訪問し、現地にて史料の写真撮影を行う。このとき、大学院生・学部生に史料調査補助を求める。史料撮影後、大学院生・学部生にデータのパソコン整理・入力を依頼し、史料目録のデータ・ベースを作成する。同時に、主要な史料に関しては、解読のうえ、大学院生らにパソコン入力を依頼する。次年度使用額は、こうした人件費として利用する計画である。
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