本研究は、近世の下野国と常陸国の村々がいかなる交易・交流を行い、どのような関係(経済圏の形成)を築き、それぞれの地域をいかに変化させたか、解明するものである。 2019年度は、個別論文で発表したものを除き、4年間の研究成果を報告書にまとめた。 まず、19世紀前半に下野国芳賀郡小貫村の地主小貫万右衛門(名主退役・隠居後)が構想した内陸水運(舟運)網の拡充計画を時系列に復元し、当初、小貝川-鬼怒川-利根川-江戸川-江戸という南北方向の水運網整備を計画していた段階から、笠間川(涸沼川)-涸沼-大谷川-鉾田川-北浦-利根川-江戸川および涸沼-太平洋という東西方向(常陸国横断)の水運網の開設へと転換する過程を跡づけた。国益を掲げて、幕府や諸藩、江戸商人や河川沿線の有力者に働きかけ、具体的な地域益と多面的効果を追求する百姓の献策と構想力を明らかにした。あわせて、掘割の技術上の課題、巨額の資金・出資者の募集の困難(「山師」横行の時代に信用を得ることの難しさ)、既得権益保持者との競合・確執、事業の一環である新田開発の魅力の乏しさ(気候が温暖で豊作続きの米余りの時代)など、構想が成功しなかった理由も考察した。また、小貫万右衛門の通船計画に関わる明和9年(1772)~文政13年(1830)の史料83点を翻刻・掲載した。 さらに、下野国と常陸国を結ぶ水運網拡充の試みとして、那須郡小口村の名主・地主大金重貞が寛文・延宝年間に計画した那珂川上流部の新河岸建設・舟運路拡張運動に関わる史料19点を翻刻し、その経緯と意義を明らかにした。
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