前年度に引き続き、1910年代後半から1930年代に函館で刊行された新聞を中心に、新聞記事や文献の調査をおこなった。これら及び前年度までに収集した史料をもとに、1910~40年代における千島・樺太・北海道の島々へのキツネの人為的移入について論考をまとめた。その主な内容は、以下の通り。 ①1910年代半ば、カナダのプリンス・エドワード島などで盛んになっていた養狐業の状況が日本国内に紹介された。こうした情報が刺激となって、樺太や北海道で養狐業が活発化した。同時に、市場価値が高い毛色のキツネを外部から島々に持ち込んで放つことがおこなわれた。 ②千島中部では、1911年に日米英露が締結した国際条約を背景に、オットセイやラッコなどの保護を政策課題とした農商務省が、これと併せてキツネの繁殖を図ることを計画した。農商務省は、ロシアのコマンドルスキー島などからキツネを持ち込み、在来の赤キツネを駆除し、キツネの食料確保のためにネズミ類を持ち込んだ。 ③樺太南西沖の海馬島では、民間人である志田力二が北海道からのタヌキ、プリンス・エドワード島からのキツネの移入を計画した。彼の計画は修正を加えつつも、一部は実現に至った。彼の死後、1929年からは海馬村が島の窮乏対策としてキツネを移入した。ここでも千島などからの優良キツネの移入、在来キツネや野犬の駆除が見られた。 また、1920年代に宮城県の金華山から北海道南部の大沼公園にシカが飼育用に移入され、その後増えて北海道内各地に譲渡された事例について、一連の経緯を整理し、北海道博物館の企画テーマ展「エゾシカ」で紹介した。 他に、生物移入とは直接関係しないが、派生的な成果として、明治期の札幌近郊、野幌丘陵におけるヒグマとエゾオオカミと人との関わりに関して史料を紹介する論考を発表した。
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