清朝によってモンゴル全土に張りめぐらされた駅站システムは、清朝のモンゴル支配を強化するために作られたが、同時に、駅站によって、モンゴル地域内や中国本土との間の大規模な人や情報の移動が容易になったことで、モンゴル社会は大きく変化したと考えられる。しかし、今に至るまで、その歴史的意義はおろか基本的事実すら明らかになっていない。 そこで本研究では、満洲語・モンゴル語の行政文書や、実際に駅站を利用して往来した王公や官僚の日記、当時の地図など、多様な史資料を分析することで、駅站を介した人や情報の移動を具体的に解明し、その移動がモンゴル社会そして清の地域統合に与えた影響について分析した。
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