前年度までに行ってきた唐宋時期以前の中国西南民族に関する史料記載の再検討,および明代に編纂された雲南史書の整理をふまえて,最終年度においては本研究の主題である宋代の中国西南地区の諸民族に関する史料記載の分析を行った。その際の着眼点は,(1)宋代雲南(大理国)に関する史料記載(の欠如)は宋代史料の編纂者によってどのように認識・処理されていたか,(2)そのような認識の根拠となった,宋代人の中国西南に対する地理認識(空間認識)はどのようなものであったか,の二点である。『宋史』蛮夷伝および『続資治通鑑長編』に代表される編年史料の分析から,唐代およびそれ以前に雲南地方に設置されていた州県(羈縻州県)の名称および,唐代に雲南地方に分布したとされる民族名称の多くが,宋代においては現在の貴州・広西の西部で使用されていることがわかった。四川南部においても同様の事例が確認される。すなわち,雲南地方の東側・北側にあって中国内地との緩衝地帯にあたる地域,およびその住民が唐代雲南の地名・民族名を帯びて,宋朝政権が直接の交渉をほとんど持たなかった雲南大理国に代わって,王朝の西南辺境を形成するものと認識されていたと見ることができる。これを本研究では「仮想化された雲南(被虚擬化的云南)」と名付け,2018年7月に広西師範大学で開催された国際学会および9月に雲南大学人文学院でおこなった学術講演において研究成果の発表をおこなった。 なお史料整理については前年度までに行ったものに加えて,楊慎『テン程記』(テンはさんずいに「真」)の校訂を行い,湖北・湖南から雲南に入る交通ルートの明中期における状況を理解する手がかりとした。これは前年度までに校訂を行った史料とともに,整理ができ次第WEBサイト等で公開する予定である。
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