宋代(10~13世紀)の中国雲南地方に存在した大理国に関する史料記述がなぜこれほどに少ないのか,当時の中国王朝と大理国との関係はどのようなものであったかという問題について,本研究では宋代の漢文文献を中心に分析を進めた。その結果,この時期には宋朝と雲南地方の中間地域に位置する諸民族集団が,しばしば前代までに雲南地方で用いられた地名・官職名を使って宋朝と交渉を行っており,それが宋朝と大理国の直接の通交を阻む要因として働いたことを明らかにすることができた。この現象を本研究では宋代雲南の「仮想化」と名づけ,これによって上記の史料記述の乏しさを少なくとも一面から説明できることを主張する。
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