本研究によって明らかとなった、トルコ共和国における国民形成の性格は、つぎの二点に集約されうる。1)共和国初期において、非常に強権的な形の国民統合・国民意識の形成がなされた。さまざまな分野で、意図的にデザインされた「鋳型」に国民意識を押し込んで形成しようという試みがなされた。2)こうした強力な「上からの国民形成」にたいして、アタテュルクの死後より、揺り戻しが発生した。アタテュルク時代に規定された「国民の形」は、読み替えと解釈によって、徐々に変質していった。道徳教育に形を変えたイスラム的な教育の導入も、そうした「下からの」ネゴシエーションの成果のひとつである。
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