唐朝の異民族を支配する方法は、間接統治であったと、一般には言われる。それは、異民族のリーダーに唐の官職をあたえ、彼を通じて、彼の集団を支配するものであった。その集団は、唐朝に服属しているけれど、自治がおこなわれていたというのが、今までのイメージであった。現在の中国遼寧省の朝陽市は、唐代の営州があったところであり、そしてその付近には異民族集団が多く住んでいた。これを羈縻州という。近年、この羈縻州に関する墓誌が13点発見された。これを利用してこの地域の羈縻政策を見直すと、従来のイメージとは異なった姿が浮かび上がったのだ。
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