本研究は、20世紀最初の20年間を中心に、アジアロシア移住・入植事業を帝政末期のロシアが描いていた国家構想の一環として位置付けるとともに、第一次世界大戦および1917革命前後の連続性と断絶という視点から、農民の国内移住の実態について分析することを目的としていた。これまでの移住研究では1914年の第一次世界大戦勃発までを区切りとするものが大半であり、戦時下の移住・入植事業についての研究はほとんど行われてこなかった。実際、開戦と同時に新規移住者は激減するが、その一方で、土地整理農業総局および移住局の業務は若干形を変えながらも継続している。その一つが、1911年から進められてきた新たな植民事業計画方針の実現に向けた法整備である。土地の私的所有、市場経済原理を導入した経済活動の活性化、全身分に適用される新移住法の制定など、自由主義的な移住関連法案の成立を目指した動きは戦争中も続いた。その一方で、入植地集落での土地整理事業は継続して行われており、入植区画の測量や道路整備など新たな移住者を迎えるための整備事業も、軍事捕虜の労働力を活用しながら進められていた。このように、戦争終結後の移住・入植事業再開を見越した活動が大戦中も継続して行われていたのである。 忘れてはならないのが、第一次大戦中の避難民支援に果たした移住局の役割である。移住者向けに整備されてきた設備はそのまま避難民用に転用され、移住局現地職員は豊富な実務経験を生かして避難民の移送および一時収容の支援業務にあたった。 1917年革命により、それまで目指されてきた自由主義的な移住・入植事業方針はすべて破棄される。それでも何か革命前後の連続性が見られるのかという点については、本研究期間内では十分に考察することができなかったので、今後の継続課題としたい。
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