研究課題/領域番号 |
16K03110
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研究機関 | 金沢大学 |
研究代表者 |
田中 俊之 金沢大学, 歴史言語文化学系, 教授 (00303248)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | スイス盟約者団 / 原初三邦 / ハプスブルク家 / 前方オーストリア政策 / 地域 / 経済構造 / 修道院 / 都市 |
研究実績の概要 |
13世紀末から15世紀末にかけてハプスブルク家によって展開された前方オーストリア政策の対象地域は現在のスイス中・北部一帯にほぼ相当するが、従来の研究視角は、13世紀末に形成され成長著しいスイス盟約者団とスイス中・北部一帯を支配領域としていたハプスブルク家との対抗関係を前提としてきた。確かにスイスの歴史年譜に刻まれる両者の数多の軍事衝突(その大半が盟約者団の勝利、ハプスブルク軍の敗北)はスイス史の根幹を形作ってきたし、盟約者団への対抗政策としての前方オーストリア政策を意味づけ、位置づけ、従来の研究視角を育むに十分な根拠となりえたであろう。 しかし本研究では、貴族vs.農民、上からの抑圧的封建支配vs.下からの自由獲得のための抵抗、という旧来好まれた図式から離れたところから見える歴史像を構築すべく、これまで揺るがしようのない前提とされてきた事象にも目を向けて、その実態を明らかにするための検討を重ねてきた。 15世紀後半に関しては、ハプスブルク家の故地エルザスの都市エンシスハイムに置かれた宮廷裁判所がスイス西方地域におけるハプスブルク家の司令塔的な役割を保持し、1415年のアールガウ占領によってハプスブルク家がスイス北部の拠点を失って以降も、アールガウの都市ラインフェルデンを地域の拠点とした支配体制を維持していたことを把握した。 他方、盟約者団形成期のスイス中央山岳部についても、これまで13世紀末から14世紀前半にかけてハプスブルク家との闘争が盟約者団形成の契機とされてきたが、サブロニエが提唱した13世紀における地域の経済構造の転換を視野に入れるなら、契機と考えうる別の要因も浮き彫りになってくる。近隣の修道院や、のちに盟約者団入りする大都市チューリヒの動向に注目すべきであることを展望として得た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
15世紀におけるスイス北西部の状況に関しては、都市ラインフェルデンの役割を把握し、これまで前提とされてきたハプスブルク家のスイス支配からの排除(撤退?)に疑義を呈する材料とすることができた。他方、13世紀末から14世紀前半の前方オーストリア政策初期における「前提」に対して、地域の修道院や大都市チューリヒの動向への注目が問題の打開への道筋になることが展望として得られた。 しかしともに学会報告や論文発表には至らず、「やや遅れている」とした。
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今後の研究の推進方策 |
13世紀末から14世紀前半のスイス中央山岳部における実態については、地域の修道院と都市チューリヒの動向に関する史料収集と史料読解でやや難航しているが、それらを進め、年度内に見通しを固めておきたい。15世紀におけるスイス北西部の状況に関しては、都市ラインフェルデンを拠点とするハプスブルク支配の地域における実態、ラインフェルデンの役割をより明確に把握できるよう努めたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
年度末に当初予定されていた海外での学会が諸般の事情で開催されなくなり、そのための旅費が未使用のまま残った。 次年度に開催される目途が立てばそれに充当し、目途が立たなければ史料集(古書)の購入に充てる。
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