20世紀後半、ポーランドの知識人の言論活動は、「国内」と「在外」の2つの陣営に分かれて展開された。このうち「亡命」側で大きな役割を果たした拠点の1つが、文学研究所であり、雑誌『クルトゥラ』であった。「国内」と「在外」のあいだには冷戦期に特有のイデオロギー的な対立が存在したが、『クルトゥラ』は、自由主義陣営の言論の場としての性格を堅持しながら、さまざまなかたちで「国内」の知識人との関係を構築し、東西の言論の分断を乗り越える方法を模索した。本研究では、文学研究所と『クルトゥラ』の歴史的役割を解明するために不可欠な基礎的史料(とくに編集長ギェドロイツの書簡)を収集し、内容を分析する作業を行なった。
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