平成31年度は、それまで3年間に収集した史料、すなわちパリ文書館V9E系列126点を中心とした文書史料、国会およびパリ市議会議事録、小冊子類、新聞記事等の分析にあてた。その結果、現時点までに以下のことが判明した。(1)復元事業の開始や遂行をめぐる議論では、技術的・財政的な主題が相当の部分を占めており、制度の必要性についての議論は事業開始当初を除いて少なかった。(2)事業は、1872年から97年までの25年間実施され、最終的に269万件(出生142万件、婚姻35万件、死亡92万件)の記録を復元したが、これは焼失した民事籍簿の約3分の1にあたる。(3)国家元首や主要閣僚が主導してはじまったにもかかわらず、行政内の協力体制は十分ではなく、実際の作業においても多大な支障が生じていた。(4)住民の意識や態度については、非協力的な態度がみられたものの、その広がりについては現時点では明確にできていない。 19世紀後半のフランスでは、市民の基礎的個人情報を行政が一元的に管理することについて、行政と市民の双方において関心は高くはなかった。国家と社会の近代化が大きく進む時代にあって、国家制度に対する意識、公民としての意識がいまだ浸透していなかったといえる。 個人情報の管理のあり方とそれをめぐる意識を通して、近代国家の実相に迫ろうとする研究は、西欧近代史研究においてはいまだに少ない。それを実証的に調査しえたことが、本研究の意義であると考えられる。
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