2018年夏、メキシコで急性肺炎に罹患したために現地での調査が不十分に終わり、資料を予定の一部しか収集できなかった。2019年8月、間質性肺炎に罹患し、最寄りの大学病院に約2か月入院した。現在は自宅でリハビリ中である。そのような事情から、研究は収集した資料の調査分析しかできず、現在のところ、論文の形までには至っていない。だが病状が改善した場合は、メキシコを再訪し、研究テーマに関して調査不足部分を補い、総合的見地と結論を提示する。 オアハカ州テワンテペック地方で発生したサポテカ族の反乱(1846-1850)に関しては国立公文書館で19世紀の公文書、国立定期刊行物資料館で19世紀中葉に発行された新聞記事、国立図書館で関係論文を収集できたが、収集数が少なかったために論文作成にまで至らなかった。この反乱は耕地をめぐる争いではなく、この地方の特産物である塩、藍、赤色染料という3つの資源喪失から反乱が発生したという仮説を立てた。この地に入植した白人たちは藍とエンジムシ(染料)栽培用の土地を確保するためにサポテカ族から不当に土地を奪った上に、先住民が古来から利用していた塩田を占拠した。 ベラクルス州北東部で発生したトトナカ族の反乱(1887-1896)に関しては、国立公文書館で19世紀の連邦政府と州政府の公文書を、国立定期刊行物資料館で19世紀に発行された新聞記事を収集する予定であったが、疾病のため現地で資料収集ができず、わずかに国立図書館で3本の論文を入手できたに過ぎない。 先住民農民共同体の私有地化を図る「永大所有財産解体法」(1856)によって共有地を分割されたトトナカ族は、輸出商品であるバニラ生産拡大のために土地を強奪するアセンダドに対する不満からたびたび武装蜂起した。いずれのケースも公的ファクターと私的アクターが結託し、共同体的アクター(先住民)を反乱に追い込んだ事例と想定する。
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