18世紀末以降にロシアに大量に移住したドイツ人移民(ロシアドイツ人。19世紀末に約180万人)は帝政末期のロシア化政策、第一次世界大戦、社会主義革命、内戦、飢饉のなかで多くの人びとがドイツや南北アメリカに移住したが、スターリン時代の1920年代末にもかなりの数が国外に、そして不法に国境を越えてハルビンに逃げた。本研究はそうしたハルビンのロシアドイツ人難民の生活とパラグアイとブラジルへの再移住の実態を解明し、民族的なマイノリティの社会経済的諸問題を考察する。 2016年度には主としてメンノ派のハルビンからのパラグアイ移住(1932年と1934年)の経過(フランス経由、人数等)と移住直後の彼らの社会経済生活を現地の資料をも使用して解明し、2017年度にはフランスに出張し、メンノ派とルター派が1932年と1934年にハルビンからパラグアイ、ブラジルに向かった、その経由地のマルセイユ、ルアーヴル、ボルドーにおける当時の地方新聞を閲覧してその実態を明らかにし、2018年1月7日に報告「ハルビン難民の南米移住 1932、34年」を西洋経済史研究会(早稲田大学)で行った。 最終の2018年度には、上記2年の研究を踏まえた論文を公表した。ドイツ人移民がロシアからシベリア、そしてハルビンに逃れ、さらにはパラグアイとブラジルへと再移住していく歴史りなかで、ハルビン難民になる10年前のロシア革命・内戦時の状況について論文「マフノ軍・赤軍に立ち向かうドイツ人移民」(『セーヴェル』34、2018年5月)を発表、2019年1月6日には報告「「移動を強いられた民」ロシアドイツ人の歴史」(上記西洋経済史研究会)を行った。加えて、ロシアドイツ人のハルビン在住時の生活と再移住に関する章をも含む単著『ヴォルガに鳴り響く弔鐘―「移動を強いられた」ドイツ人移民の歴史』(亜紀書房)を2019年秋に出版する予定である。
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