本研究の目的は、スイスで福祉団体により1926年~73年の間、移動型民族(イェーニシェ)の子どもが強制保護され定住生活を強制された社会背景、近代科学の影響、時代精神を明らかにし、なぜ市民社会がそれを受け入れ続けたかを考察することである。2018年度は以下の3点を中心に研究を進めた。 1.本事業のほぼ単独の責任者であったアルフレート・ジークフリートの著作と本活動に学術的支柱を与えたと考えられる優生学、治療教育学、精神医学、遺伝学の関連性を考察した。当初優生学の影響を重要視していたが、当時広範な学問分野で問題とされていた社会的規範を逸脱した性質(存在)の継承(遺伝)にどう対応するか大きな関心事であったことが明らかになった。そこではまず再教育が念頭に置かれ、環境が改善されれば社会から逸脱した性質は根絶できると考えられていた。しかし、子どもの一部には教育困難児(知的障害者や精神病患者など)が含まれていて、それらはイェーニシェの特徴だとされ、それが社会的なスティグマとなっていった。 2.スイスにおける現地調査(スイス国立図書館2018年8月17日~24日)で収集した他の福祉的な子どもの強制保護の文献資料の分析・考察を行った。スイスでは1981年まで子どもを里親や施設で強制的に保護することが日常的に行われていた。貧困、貧困と結びつく福祉的コスト、貧困の原因とされた労働忌避、規範とされた家族像からの逸脱(婚外子、片親、「不完全な母親」)、子どもの不良化などが子どもを強制保護する理由だった。それらはイェーニシェの子どもの保護の理由(非定住を除く)と完全に重なるものである。 3.なぜ本事業が1970年代まで看過され続けたのかという点について考察した。学術界においても、子どもの福祉政策という点においても考え方の転換が見られなかった。そのため、本事業も問題視されることなく継続されたのである。
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