最終年度にあたる令和元年度は、引き続き近世スウェーデンの対外政治について、対デンマーク政治を中心に、欧米歴史学界の外交史の新潮流をおさえながら考察を深め、本研究の総合を図った。その際、両国の中世以来の関係まで遡って検討する必要があり、第一にカルマル連合の意義と役割を考察した。これは、北ドイツ諸都市連合であるハンザの北欧世界への進出に対して、北欧側が政治連合を結成して対応した防衛策である。デンマークがエーアソン海峡通行税の徴収を始めた1429年が両国関係の転機で、これ以降デンマークの国力の強大化とスウェーデンの反発力の増大という形で進み、1523年スウェーデンはカルマル連合から離脱し、主権国家として独自の路線を進めるに至る。それとともに、ハンザ・デンマーク・スウェーデンの力関係が並列するようになり、ハンザの凋落により、デンマークとスウェーデンが雌雄を争う形となった。1560年代の北欧七年戦争が、両国によるバルト海支配をめぐる闘争が先鋭化する画期となり、この時以来スウェーデンは対外拡張政策を取るに至る。そこで第二に、この「ドミニウム・マリス・バルティキ」問題の争点について考察を深めた。この問題は北方ヨーロッパの勢力争いの焦点であり、近世ヨーロッパ世界最大の問題である三十年戦争の原因の背景にある問題でもある。よって第三に、東からはバルト海に出口を求めるロシア、南からはスウェーデン王位を請求するポーランド、17世紀になると三十年戦争中にバルト海進出を狙う神聖ローマ帝国が絡んだバルト海支配をめぐる複合的な国際関係を、スウェーデン対外政治の視点、すなわちスウェーデン王グスタヴ二世アドルフと宰相アクセル・オクセンシェーナによる、戦争を含めた外交政策とその立案の視点から、特にデンマーク王クリスチャン四世との外交を中心に、バルト海貿易の重心の首都ストックホルムへの転移過程を含めて検討した。
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