本研究は、専業化の視点から古代エジプト国家形成期の複雑化社会を考究することを目的とする。専業化の研究は、資料不足により十分な議論がされていなかった。しかし、ヒエラコンポリス遺跡の発掘調査により、具体的な研究を可能とするビール醸造施設と肉・魚の加工処理施設が発見された。ビール醸造は紀元前3600年頃に比定され、これまでのところ世界最古のビール工房である。そこで本研究では、これら生産遺構の具体的な内容を明らかにし、これらをもとに専業化を総合的に考察することを目的とした。結果、まずビール醸造については、麦芽原料は破砕と粉砕の2種類を準備し、ナツメヤシなどの添加で糖度と風味を高め、またオオムギを加えて防腐効果を与えていたことがわかった。肉・魚の加工については、家畜ウシと大型淡水魚のナイルパーチに特化し、これらを加熱調理する特殊な工房であることが明らかとなった。どちらも大規模で集約的な大量生産であり、専業度の高い生産体制であったと考えられる。また地理的状況からも、その生産目的は近接するエリート墓地への供給であり、専業形態はエリートお抱えの従属専業であったと想定される。さらに、ビール壺生産の専業化と社会複雑化について考察した。ビール醸造施設には土器焼成場が併設され、ビールを入れる容器もここで生産されていたと考えられた。そこで、ビール壺の法量分析(変動係数比較・口径値分布)を行った結果、極めて高い規格化を示し、ビール壺生産の専業化もエリートに従属したものであったと解釈される。新たな胎土を開発して始まったヒエラコンポリスのビール壺の専業的生産は、ビール醸造とともに新たな経済パッケージとしてエジプト全体に拡散していった様相が看取され、それは国家形成期社会の文化的変化を具体的に示すものといえる。
|