中国陝西省および甘粛省東部の渭河流域に分布する早期・前期秦文化から春秋戦国時代秦文化の遺跡・遺物の考古学的調査を行うことが当該研究の研究目的である。2018年度は北京大学考古文博学院と当該研究を課題とした学術交流を行い、陝西省内の秦建国期・春秋時代の秦人および周人の遺跡発掘に参加した。2018年10月10日から10月19日の10日間、研究代表者飯島武次、研究分担者角道亮介、研究協力者大日方一郎は、中国宝鷄市鳳翔県の秦都雍城遺跡の発掘調査に加わり、秦都雍城の中心部の宮殿区において調査をおこない、また雍城造営開始時期の遺構を求めて踏査も行った。その結果、西周文化の伝統を濃厚に受け継ぐ秦人の文化を遺構と遺物の上から確認することができた。発掘参加終了後、19日から25日の間、四川省成都市で開催された「中国考古学論壇」「中国考古学会」の二つの学会に参加し、西周腰坑および、秦建国期の王陵関係の発表を行った。2018年度は、当該研究の最終年度に当たったので、研究のまとめを行い、併せて積極的に研究成果の発表を論文・学会発表において行った。 3年間の研究では、秦都城の研究に併せて秦陵の葬制に関しても研究を進めた。その中で、甘粛省礼県大堡子山M3号墓の被葬者は秦襄公、M2号墓の被葬者は襄公の配偶者である可能性が高いとの結論を導き出した。秦建国期から戦国時代後期に至る陵墓・大型墓の変化と発展を確認した。秦建国期・春秋時代の陵墓は中字型墓であるが、戦国時代後期には亜字型墓が出現する。春秋時代の陵墓上に墳丘は無く、穆公陵と景公陵の墓上には大型建築が存在するが、戦国時代後期になり惠文王公陵・武王永陵の陵墓上には方錐台形墳丘が出現する。この発展・変化が始皇帝陵の大方錐台形墳丘と寝殿の造営に繋がる。秦陵葬制の発展と変化の中に秦文化が形成されていく象徴的姿を見ることが出来た。
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