最終年度の令和元年度は、未実施であった現地調査の内、等覚寺の本谷および北谷の墓地の調査を実施した。墓地の平面図の作成、一つ一つの墓碑銘の読み取りを実施し、近世等覚寺の成立に迫る内容を得ることができた(詳細は調査報告書に掲載した)。次に、青龍窟石造物および内尾薬師の調査も実施した。特に青龍窟の石造物は、中津市耶馬渓町の羅漢寺の石造物との共通性を見出すことができ、これまでほとんど論じられてこなかった青龍窟と羅漢寺を初めとする豊前下毛郡の石造物との関わりを指摘することができた(詳細は調査報告書に掲載した)。さらには、苅田町の無人島・神ノ島の現地踏査・ドローン撮影を実施した。神ノ島には、市杵島神社が祀られており、また青龍窟の祭神と同じ豊玉姫の伝承を持つ島で、現地踏査を通じ、等覚寺の廻峰行とのつながりを知ることができた(詳細は調査報告書に掲載した)。そして最後に等覚寺北谷の豊前坊の調査を実施した。豊前坊という呼称は、彦山豊前窟の信仰と深いつながりが認められることが想定されたため、現地を調査したが、小規模な磐座が見られるのみで、地元の伝承では元々の場所から移転したという証言も得られ、本来の祭祀の在り方ではない可能性が考えられた。以上で、本研究における現地調査を終了することができた。 また、調査成果の公表としては、令和元年10月19日に、豊前市求菩提資料館にて、「等覚寺の山岳信仰と彦山六峰」と題し、講演を実施した。 最終的な調査報告書としては、『彦山六峰・等覚寺の山岳信仰の研究ー豊前等覚寺の山岳霊場・信仰遺跡現地調査報告書ー』を執筆・刊行した。
|