本年度の直接的成果は「『満洲国』期における満鉄旅客輸送」を第87回社会経済史学会全国大会(於・大阪大学)で自由論題報告として発表したことである。本報告では、1930年代後半の「満洲国」期の人の移動と南満洲鉄道(以下、満鉄)の旅客輸送の実態を明らかにし、それを大連の衰微と関連づけて考察することを目的とした。そして①特急「あじあ」神話の表象する「満洲国」期における日本人の人流を再考すること、②「満洲国」成立後における満洲最大の人流であった華北からの漢人出稼者の動向の検証、の論点を2つ設定した。 その結果、1.「満洲国」成立当初入満制限を加えられた漢人労工も五箇年計画による労働力需要の高まりで再び増加し、その移動経路が1920年代までの海路から陸路へ次第に移行したことで、大連の結節点としての機能が低下する一因となったことが明らかとなった。また、2.日本人に外国人を含めても遊覧旅客は年間数万人規模で、日本人移民と同様に漢人労工を代替する巨大な人流にはなり得ず、奉天を随一の訪問先としつつ連京線沿線に重点があった。当時の渡満日本人は主に釜山上陸の朝鮮半島縦断経路を採り、加えて1940年代の北鮮経路の台頭で一周遊地に過ぎない大連の渡満旅客結節機能はさらに低下した。そして、3.1930年代後半から満鉄旅客輸送の比重の高まりは日中戦争、ついでノモンハン事件の影響で、まず軍隊輸送、さらに公務利用によるもので、平時輸送を削減するため運賃優遇措置の中止で旅客減少を図らなければ軍事輸送を維持できず、大連通過旅客がさらに減少した。それらを踏まえ特急「あじあ」の設定は、衰微する大連を意識して衆目の関心を引きつけるねらいがあったのではないかと考えた。この口頭発表の内容は成稿のうえで投稿し、「条件付き」受理となっている。 また8月には大連、哈爾浜、長春、大栗子などで現地調査を実施することができた。
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