最終年度にあたる今年度は、前年度までに行った様々な史料分析の結果をつき合わせて検討し、考察が不十分と思われる論点については追加的に資料の収集・分析を行って補足しつつ、総合的な議論の構築を目指した。 考察を補充した主要な論点の第一は、大名家の相続をめぐる御家騒動とそれらを文芸化した御家物の通時的変化と、武士及び町人の意識の変化との関係である。武士の意識に関しては、御家騒動への対処方法や法令の改定から、17世紀半ば以前に、幕府が大名の相続に際して個人の器量よりも家筋を重視する方向に転換をはかっていることが窺え、これにやや遅れる17世紀後半には、大名の家臣の側に、総じて主君個人よりも御家の存続を尊重する意識が明確に見られるようになる。こうした武士の家をめぐる意識の変化は、17世紀以降の、御家騒動の多発とそれをモデルにした御家物の流行を促進する一因になったと考えられるが、御家物の流行と内容の変化に、より密接に関わると考えられるのが、その中心的な享受者であった町人の意識変化である。中でも、特に享保期(1716~36)以降、商家の家訓が相次いで制定され、投機的・多角的に攻めるよりも手堅く守る経営形態が推奨されて、家を守り継ぐ意識が一層強まることは、家のために尽くす忠臣像を強調する、18世紀後期以降の御家物の隆盛を支えたと考えられる。但し、町人の場合、家の安定的な継承のためには、家筋よりもむしろ器量が重要と考えられ続けた点は、大名との顕著な相違である。 補完した論点の第二は、中世の御伽草子や能、説経節、幸若舞等における御家物と、近世の歌舞伎や浄瑠璃における御家物の関係や相違である。中世の御家物自体の多様性もあり、両者の関係は単純ではないが、近世の御家物は、跡目相続の争いを中核に持ちつつ多くの趣向を盛り込む点で、前者とは明らかに異なる特徴を示すことが確認できた。
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