1.研究を進める過程において、列島における列島的規模での支配体制の形成(BC1世紀以降)につき、中華帝国の列島支配がきわめて強力であったらしいことに留意するようになり、様々の国制史的事件をそのような観点からあらためて考察する必要を感じてきた。研究史上、未解決の問題の一つに、「AD1~2世紀にかけて、列島各地において行われた青銅器(武器形青銅器および銅鐸)埋納という人々の行為が何を意味したか」という問題があるが、私は、この問題を、上記のような、中華帝国の列島支配との関係において理解すべきではないかと考えるようになった。すなわち、中華帝国による列島支配が開始される以前における列島人独自の正当的秩序観念にかわる、帝国の支配のために適合的な正当的秩序の建設という観点から、青銅器埋納という汎列島的事件を理解することである。比喩的にいえば、近代の廃仏毀釈のような思想の大転換を、帝国は列島に強いてきたのではないか、という着想である。このことの理解を深めるために、まずは、青銅器埋納という事実の見聞を深める必要があり、大岩山銅鐸と桜ヶ丘銅鐸の見学を試みた。具体的には、滋賀県野洲市の銅鐸博物館と神戸市立博物館をおとずれ、埋納銅鐸の状況についての理解を深めることである。 2.研究を進める過程おいて、いま一つの重要課題として、支配の正当性をうみだす装置としての前方後円墳祭祀の列島的起源という問題が浮上してきた。国際的視点において考察すれば、起源は中華帝国の円丘祭祀であるが、それが、列島にいかなる形で伝えられたかという問題が重要な課題として浮上してきた。そのように考えた場合、注目しなければならないのは、東瀬戸内地方における参道つき円墳の形成である。この点を実地検分するために、有年原1号墳をはじめとする赤穂市の遺跡を見学する必要があり、それを実施した。
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