裁判員制度の憲法的正当化について,国民主権(民主主義)原理や「意に反する苦役」(憲法18条後段)との関係に着目して論じる一部学説の批判的検討を行った。この一部学説によれば,同制度を合憲と解した平成23年最大判は,国民主権原理との関係を語ったが,民主主義原理と同制度の関係はないと解したものとされる。しかし,私見によれば,同最大判は,国民主権原理と民主主義原理とを同内容のものとして理解したうえで,両原理を採用した憲法上,裁判員制度は許容されるかという観点から,その合憲性を論じている。もっとも,最高裁の考える国民主権原理の具体的内容は不明確で,同最大判を先例と合わせ分析しても,いまだその特定に至っていない。同最大判は,裁判員の職務等が憲法18条後段が禁止する「意に反する苦役」に当たらないとした理由の一つとして,裁判員の職務等が辞退可能であることを挙げている。これに対して,裁判員制度を「公共的陶冶」の手段として位置付ける一部学説によれば,裁判員の職務等の辞退は,「公共的陶冶」の機会を失うことに等しく,看過できないことになる。しかし,同最大判は,そもそも裁判員制度を「公共的陶冶」の手段としては全く考えておらず,裁判に一部国民が可能な限り参加し,司法の実態を理解することを通じて,司法に対する信頼を高めてもらいたいといった程度の期待しか,同制度に込めていないのではないか。いずれにせよ,自説に拘泥した結果,判例の理解に歪みが出る危険性は常に意識する必要がある。
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