社会的養護の領域は、保育とともに「子どもの人権」保障政策への転換が進展している。子どもをケアできない家族への「救済」という従来の政策では「子どもの貧困」を克服できないからである。しかし、この転換を「家族解体」とみなし、特定の家族像の復活・強化を求める宗教的政治運動が活発化している。この宗教右派による「家族」主義は、日本では2012年自民党改憲草案に明確にされ、これを掲げる政権により社会的養護政策も進められる傾向にある。「家族」主義が、なぜ、いま、国の内外で浮上するのか。 第一に、子どもの権利は親権(=父権)の否定とみなされ、親権の復活・強化が意図される。ただし親権は、キリスト教右派は公権力への抵抗ともいうが、日本では公権力に服従する道徳的義務であり、より公権力の強化となる。いずれも、社会的養護の公的支援の最小化と「家族」責任の強化を要求する。 第二に、家族を性別役割分担による異性の夫妻に限定することで、自らの宗教教義に基づく特定の家族像の排他的確立を要求し、現実に存在する多様な家族を認めるところに成立している民主主義を否定する。しかも日本では戦前、牧野英一が大日本帝国憲法の支柱たるイエ制度を、ヴァイマル憲法を画期とする20世紀憲法に合致するとして、社会的養護における「家族」主義を提起した。この牧野の「家族保護」論を否決して成立したのが、日本国憲法24条である。したがって日本の場合、多様な家族を前提に子ども・女性の人権保障を明記する憲法24条の破壊(=立憲主義の否定)が、「家族」主義の役割である。 第三に、世界人権宣言・日本国憲法の平和主義を、自国の主権への脅威とみなす戦争主義にある。多様な家族の現実を否定する「敵対的」家族観は、国内で家族の自己責任を強調し、対外的に戦争待望論を醸成する。戦後国際社会の掲げる「恐怖と欠乏」のない社会の建設という政治課題を否定する反人権主義である.
|