3年間の研究を通じて、以下の点を明らかにした。 第1に、本研究は、財界をはじめとして従来は地方分権に熱心でなかった勢力がこの時期に急に熱心になり始めた理由として第3次行革審路線(「ゆとりと豊かさ」路線)の重要性を指摘するとともに、この路線が、先行する第2臨調路線を引き継ぎながらも異質の要素を備えていることを明らかにし、この路線が地方分権に新たな「意味付与」をするとともに、通常では考えられにくい財界と地方六団体の「連携」を可能にしたとの立場を打ち出した。そのうえで、1986年の「前川レポート」を契機とするこの路線の形成過程を跡付けた。アジェンダ形成と諸勢力の「連携」を言説状況によって説明する「アイデアの政治」の視点による解明を試みた。 第2に、経団連の月報や『50年史』等の資料から、財界の地方分権改革への関与を検証した。その結果、従来から指摘されていた提言や審議会委員などの活動のほかに、政治過程の要所で地方分権に向けた首相や閣僚への積極的な働きかけを行なっていたことを確認した。 第3に、本研究のいう地方分権の「挫折の構造」を克服するものとして、従来の地方制度調査会とは異なる新たな制度装置である地方分権推進委員会が創設されたことを重視するとともに、その制度設計時が村山・自社さ政権であったことが改革の実現を大きく規定したとの立場を打ち出した。同じ自民党の国会議員でも、入閣して村山内閣を支える立場にあった有力閣僚と、党に残り政調会の部会等で省庁の利益を代弁していた族議員とでは、異なる役割を演じていたことを明らかにした。
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