研究課題/領域番号 |
16K03502
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研究機関 | 龍谷大学 |
研究代表者 |
中島 琢磨 龍谷大学, 法学部, 准教授 (20380660)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 日本政治 / 日本外交 / 日米安保体制 / 核兵器 |
研究実績の概要 |
・佐藤栄作首相が沖縄の「核抜き・本土並み」返還の考えに至る過程を、楠田實資料等から再検討し、一部の検討結果を発表した(「佐藤栄作――ナショナル・プライドと外交選択」等)。だが全体の解明には至っておらず、次年度も調べる必要がある。 ・沖縄からの核兵器の撤去をめぐる因果関係を、米国のアジア政策との関係から調べた。特に沖縄返還交渉と米中接近の過程を時系列的に比較検討し、暫定的に以下の考えに至っている。①1969年にNSCで沖縄からの核撤去が検討された段階では、核戦略の政策決定過程に、対中関係改善という明確な政治目的が入り込む状況にはなかった。②同年ワルシャワー・ルート等での米中対話は進まず、NSCのスタッフの多くは米中関係改善に懐疑的で、まだ対中政策変更の心理的枠組みの形成過程にあった。③ニクソン大統領の対中関係改善の意思と、実際の米国の核政策とは分けて認識する必要がある。 ④1970年の米中対話のプロセスでむしろ中国が強い関心を見せたのは、台湾の米軍施設や米軍の問題だった。またNSCは、アジア太平洋の核兵器の配備について、政府内の政策調整を簡単に行える状況にはなく、軍部・各省庁の多様な意見を前に、中国に対する米国の戦域核戦力のあり方をめぐる議論は簡単にまとまらなかった。⑤キッシンジャー補佐官は米中対話のことをレアード国防長官には秘匿しており、NSCと国防省のトップが核をめぐる政策調整を行える状況にはなかった。⑥当時、中国の核兵器に対する核抑止政策は大きくは変更されておらず、米国は、1969年の日米共同声明や71年の沖縄返還協定で沖縄の軍事的地位を決定する際には、従来通り中国の核兵器を脅威対象とした政策判断を行った。現時点で、沖縄からの核撤去の決定をめぐる因果関係は、日本の非核政策に基づく撤去要求と、米国の核戦略という日米二国間の政策対立を第一の構図として理解すべきと考えている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
・沖縄の「核抜き・本土並み」返還方針の具体化の過程に関する再検討が進んだため。一方で、佐藤首相の思考プロセスや政府・与党内の議論の経緯が複雑なため、最終的な結論には至っていない。 ・沖縄からの核兵器の撤去の背景について、アメリカの対アジア政策の文脈からの検討と整理が進んだため。
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今後の研究の推進方策 |
・関係するアメリカ国防省作成の文書や、NSC文書の検討が必要だと考えている。
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次年度使用額が生じた理由 |
・今年度は、すでに収集した資料の読み込みを優先して進め、新規資料の収集と購入を次年度以降に延ばしたため。
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次年度使用額の使用計画 |
・出張旅費の支出、およびマイクロ・フィッシュとUScan+LTEの購入を予定している。
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