研究課題/領域番号 |
16K03502
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研究機関 | 龍谷大学 |
研究代表者 |
中島 琢磨 龍谷大学, 法学部, 准教授 (20380660)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 日本政治 / 日米安保体制 / 核兵器(原子兵器) / 鳩山一郎内閣 / 冷戦 |
研究実績の概要 |
・1954年から55年にかけて、原子兵器の将来的な日本貯蔵の問題が、国内で政治争点化した経緯を明らかにし、公表した(「原子兵器の日本貯蔵問題」)。この問題は、再軍備問題や治安立法問題と同様、当時の日本政治の大きな争点として位置づけられる。 ・特に、①原子兵器の日本での貯蔵に対する米国側の関心、②1955年3月の鳩山一郎首相による原爆貯蔵容認発言後の国内の動き、③日米防衛分担金問題と米軍飛行場の拡張問題との関係性、について調べた。その上で、④同年8月の重光葵外相の訪米の準備過程を、原子兵器の貯蔵問題と飛行場拡張の問題の観点から調べた。 ・鳩山内閣は、難局の日米防衛分担金交渉を、米軍飛行場の拡張を容認すること等で乗り切った。しかし、逆にこのことが原子兵器問題をめぐる国会対応を難しくした。左派社会党や右派社会党は、ニュールック戦略・米軍飛行場拡張・台湾海峡危機・オネストジョンの配備問題等から、原子兵器の日本貯蔵の可能性を提起した。 ・日米安保条約には核兵器の貯蔵に関する明文規定はなかったが、内閣は、自由な原子兵器の持ち込みは法的に認められないという立場を示した。しかし米国務省は、日米安保条約と行政協定に基づき、核コンポーネント(nuclear component)は貯蔵可能だと解釈し、米軍部にも伝えた。 ・重光訪米時、日米はこの解釈の違いの問題については決着をつけずに終わったと見られるが、原子兵器の貯蔵問題は、国内の米軍撤退論の背景の一つをなすに至っていた。原子兵器の日本貯蔵問題をめぐっては、既存の法制度が想定していなかった所に、米ソの新たな行動の結果、国際政局と軍事状況が変化し、それを把握した野党が問題を国会で取り上げて政治争点化したという構図があったことが示しうる。 ・また核搭載艦船の日本寄港問題等に関する、岸信介元首相、藤山愛一郎元外相、木村俊夫元外相等の口述記録の編集作業を進めた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
・原子兵器の貯蔵問題が国内で政治争点化した経緯が、国会や政治社会運動の動きと合わせて、ある程度わかったことによる。 ・ただし、米国のニュールック戦略と、原子兵器の日本貯蔵問題との関係性については、まだ時間をかけて米国側文書を読んだ上で判断する必要があると考えている。
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今後の研究の推進方策 |
・1950年代の米国の原子兵器の海外貯蔵政策について、資料状況と研究状況とを調べていく必要がある。 ・1981年に『毎日新聞』に掲載された特集記事「安保と非核 灰色の領域」の取材班が残した資料内容を整理する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
・翌年度の出張旅費または文献費に充てることとした。
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