研究課題/領域番号 |
16K03518
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研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
寺本 康俊 広島大学, 社会科学研究科, 教授 (00172106)
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研究分担者 |
Yulia Mikhailova 広島市立大学, 国際学部, 名誉教授 (00285420)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2020-03-31
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キーワード | 日本外交 / 日露関係 / 外交 / 情報通信 / 勢力範囲 / 満州 |
研究実績の概要 |
現在の研究状況については、次のとおりである。第1に、日露戦争後の日露両国間の関係について、戦後の国際関係の激変に伴う日露両国の外交関係の和解から接近への変容の分析検討を行っている。日本側の桂、西園寺、その後の山本、大隈、寺内内閣の外交政策について、外交資料を収集し、資料の分析検討を行っている。特に、林董、イズヴォルスキーをはじめ、主たる外交政策担当者の日露関係に関する外交政策を国内、国際関係の中で位置付けている。第2に、既に19世紀後半以降、電信による情報通信が世界の覇権を握るための重要な手段となり始めていることを分析検討した。日本を含む極東はロイター通信社の影響圏に属した。日本政府と新聞界は情報通信社の重要性を日清、日露戦争の際に認識した。西洋マス・メディアが作った日本イメージは日本を満足させなかったからである。1907年以降、日本とロシアは4度の日露協商を締結したが、この政治的な接近は、特派員と情報通信社の活動にも大きく影響した。1906年に創立されたサンクトペテルブルク電信通信社(SPA)は、ロイターを凌駕して国際舞台への登場と自社の地位の上昇を目指した。電信線に関する協約は日本からヨーロッパへの電信の値段を各段に下げた。日本で活動したロシアの特派員は日本に関する正確で詳細な情報を西洋の同僚記者より迅速に伝えた。また、ロシアの特派員報告はロシア人に日本人の勤勉さと創造性などポジティブなイメージを形成し、日本人を満足させたことを考察した。第3に、ロシアにとっても、日露協商の締結は、日露戦争で大きく低下した清国における自国の影響力を維持する可能性を与えた。「満洲における影響圏に関する調査書」(1907年作成)は、戦後、日本がポーツマス条約で獲得した権利に満足せず、ロシアの影響圏を含め、多くの地域で拡大することを危惧し、ロシアの権益維持の必要性を示唆していたことを分析した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
昨年度、研究代表者などの関係者の業務が非常に多忙であり、また研究協力者も多忙などの諸事情などがあった。現在、研究テーマの多元化、総合化を行い、日本の林董やロシアのイズヴォルスキーなどを中心にイギリスの公文書、関係資料などの分析し、日露両国の接近の背景などを検討した。また日露関係の改善によってロシアの通信社の特派員報告の活動がロシアに対する日本のポジティヴな紹介などにつながったこと、さらには、ロシアの資料の中には日本が勢力範囲を拡大することを懸念することが指摘されていたことを分析した。以上のように、日露両国の対立から和解に向けての外交関係の変容について、個別的、総合的に分析、検討を進めている。
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今後の研究の推進方策 |
日露戦争後の日露両国間の関係について、現在、当時の激変する国際関係の中での、日露両国間の外交や国際関係の上での、満州やモンゴルなどを対象に対立から和解に向けての変容の背景、内容、影響などを総合的に分析検討する。また、日米関係の緊張なども視野に入れて検討する。そのために、日本、ロシア、イギリス、アメリカなどの関係国の原資料をさらに収集し、分析検討する。また、外交だけではなく、ロシアの特派員や通信社が伝える情報とそれが持つ意義、重要性を分析検討する。そして、未公開であったロシアの原資料などの分析検討を行う。こうして、日露戦争以後における日露両国の外交関係の変容について、個別研究の深化とともに、研究の総合化とまとめを行う。
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次年度使用額が生じた理由 |
研究担当者の業務が非常に多忙であり、また研究協力者も多忙などの諸事情があった。次年度に於いて、研究担当者、研究協力者が、資料をさらに収集し、資料の詳細な分析検討を進める。特に、今後、国内と海外において重要な原資料のさらなる収集、及び関連書籍の購入などにより、研究をさらに進め、日露両国の外交政策やメディアの影響などの個別的研究の深化と、日本外交史や国際関係史全体から分析検討した総合的研究、そして現代的な意義の検討などの考察を行う。
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