研究課題/領域番号 |
16K03779
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
三輪 宗弘 九州大学, 記録資料館, 教授 (30279129)
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研究期間 (年度) |
2016-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 戦時動員 / 労務動員 / 強制労働 / 強制連行 / 朝鮮人労働者 / 徴用工 / 任意貯金 / 強制貯金 |
研究実績の概要 |
明治以来、筑豊炭鉱では出来高払いが基本(特に採炭現場)であったが、筆者は移入朝鮮人労働者にも出来高払いが基本的な基準であったと考えていたが、出来高払いが基本であることを確認できた。日本人と朝鮮人労働者との間で賃金を差別する(区別する)規程は見出すことができなかった。明治赤池の採炭夫のデータであるが、朝鮮人労働者の賃金の方が高い場合もあれば、日本人労働者の賃金が高い買いもある。朝鮮人労働者の技量が高まる一方で、日本人鉱夫が兵役に就き、熟練鉱夫が職場を離れたためであろう。労働期間は基本的に2年契約が多いが、契約延長に際しては6か月とか、1年間もある。 賃金の決め方 年齢、経験、学歴、出来高、(諸手当)基本給の決め方であるが、年齢やそれまでの経験が考慮され、職種によって体系が違う。坑内と坑外では時間当たりの賃金は異なる。一般に郊外の方が労働時間は長い。 戦時中の貯金の実態についてであるが、日本鉱山協会「半島人労務者ニ関スル調査報告」(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1071122)を読む限り、任意貯金の割合が大きいことがわかる。炭鉱によってはばらつきがあり、一人一人によって違うが、ある鉱山の事例では任意貯金は206人が行い、一人1ヶ月平均は20.17円に対して強制貯金(会社規定による規約貯金、国民貯金)を225人が行い、一人1ヶ月平均2.41円である(43頁)。言えることは、任意貯金の割合が高く、強制貯金は一か月のうちの2.5日分相当であるということである。 独や仏の外国人労働者の賃金も調べたが、1940年以前はフランスの炭鉱ではポーランド人鉱夫の賃金は差別はなかった。戦時中のドイツの炭鉱ではスラブ系民族の炭鉱労働者は賃金が半分以下に抑えられていることが指摘されている。炭鉱労働者の賃金を国際比較することで、徴用工の賃金水準を明らかにしたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
賃金データ(日本)を集めることができた。出来高制であり、年齢、職種、経験、学歴が加味された、公平な賃金制度であることがほぼはっきり指摘できる。 イギリス、フランス、ドイツで外国人労働者の待遇に関する研究を調査することができた。ドイツはスラブ系民族に対して差別医的な賃金体系であるということが先行研究で指摘されている。国際比較が可能になった。 貯金に関しては、任意貯金の方がはるかに多く、強制貯金の割合は少ないことが明らかになった。30円まで強制貯金という形で貯金をすすめた大之浦炭砿の事例では「愛国貯金は標準報酬日額の二日半分平均五円五十銭、矯風会規約貯金参拾円に達する迄、参拾円以上任意とす。何れも郵便貯金にして通帳は各砿とも会計係に於て保管す。」(昭和14年、15年)と書かれている。制貯金と任意貯金の実態がほぼつかめた。戦時中全般にも同じかどうか、さらに調査を進める予定である。はっきり言えることは強制貯金の割合は相対的に低いと言えることである。 朝鮮人労働者の貯金には、博打や花札などの賭けでのお金の流失や、飲酒などによる浪費を避ける側面、病気や事故に備えるという面、帰鮮後の生活保障といった面も大きかったと考えている。朝鮮人労働者の貯金の引出や家族への送金額もおおよその見通しが立った。 危ないところは朝鮮人労働者に働かせたとか、根拠を示さず、主張しているが、死亡率に関しても統計データをさがすことができた。日本人の坑内労働者と朝鮮人労働者の死亡率は1000人当たり5人である。戦地に兵隊として徴用された日本人労働者に比べて遥かに低い死亡率である。捕虜に比べると低い数字である。 北海道大学附属図書館には北炭の資料が所蔵され、釜山募集状況などの貴重な資料が公開されているが、九州の炭鉱と比べると、北海道の炭鉱は朝鮮人労働者が忌避する傾向があったので、募集に苦労していることなどがわかった。
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今後の研究の推進方策 |
賃金データを分析する作業をすすめながら、ドイツとの比較を行いたい。 3年目の課題として、契約期間を満了せずに逃亡した朝鮮人労働者の人数やどのような業種(他の炭鉱、防空壕堀、道路工事、農業の小作など)に雇用先を見出していたのか明らかにする必要がある。九州では40パーセントほど逃亡したことがわかる(移動先は記録がない)。北海道は20パーセントほどである。北海道は逃亡してもすぐに見つかったり、空腹で戻ってきたりしている。各県の募集で炭鉱に職を求めた日本人も逃亡している。昭和19(1944)年になると、一般徴用と現用徴用が朝鮮人労働者に適用されたので、徴用とこれまでの2年契約の関係はどのようになったのか、研究する必要がある。一時帰鮮した朝鮮人労働者がどのような割合で炭鉱に戻ったのか、満期帰鮮した労働者が、再び日本に職を求めたのかどうか、さらには逃亡した朝鮮人が一旦朝鮮に戻り、再び内地へ戻ったのかどうかも実態を明らかにする必要がある。 密入国者数であるが、基本的な文献である『在日朝鮮人 処遇の推移と現状』(法務研修所、1955年、41頁)に昭和16年858人、昭和17年1186人であったと書かれているが、戦時中に不正渡航したり、戻ったりした朝鮮人労働者は相当の人数であったろう。筆者は現在この数字を推計している(非常に難しい)。逃亡した朝鮮人労働者が一旦帰り、偽名を使い、再度戻ってきたのかどうか、一時帰鮮して元の職場に戻らなかった農民がまた海を渡り、日本に職を求めたのかなど調べなければならない。筆者はどの程度の逃亡者が半島に戻ったのか、どのような仕事に就いたのか、内地に密入国したのかという点に関心を持っている。 事故での死亡者数と病気での死亡者を明らかにしたい。数捕虜(POW)の死亡率についても調べたい。捕虜の場合は最初死亡率が高いが、段々と低くなっていくのはなぜなのか検討したい。
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