2008年の米国の投資銀行リーマン・ブラザーズ社の経営破綻とその救済過程を,投資銀行の発達史の観点から英国(ガーニィ商会とベアリング商会)と比較した。創設からのリーマン・ブラザーズ社の歴史,20世紀末の投資銀行のビジネス・モデルの変容,その救済をめぐるマクロ・プルーデンスの問題を論じた。その際,投資銀行という業態のもつ特質も考慮した。リーマン・ブラザーズ社の経営破綻については,マスコミにおいて「リーマン・ショック」として多くの出版物が刊行された。しかし,これらは現状の皮相な分析に留まり,発達史にまで踏み込んだ分析には至っていない。投資銀行は非公開会社形態で経営されてきたため,情報開示が不十分なところがあった。研究者が投資銀行の内部経営文書を閲覧する機会も容易に与えられなかった。このため,投資銀行の発達過程自体が十分に解明されているとは言い難い。実際,C. Kobrak & Mira Wilkinsは,リーマン・ブラザーズ社の経営破綻を論じた多くの研究が「歴史的な経過と洞察」を配慮しないで,単に「金融恐慌」というレッテル貼りに終始していると酷評する。現代的な大きな課題を有しているにもかかわらず,投資銀行史の研究は著しく立ち後れた研究領域となっている。本研究はその間隙を埋めるべく,リーマン・ブラザーズ社の経営破綻を歴史的に検証した。1990年代の規制緩和政策によりCitibankやJ.P. Morgan & Chaseのような米系の大商業銀行が投資銀行業務へ参入し,また欧州系のユニバーサル・バンクやマーチャント・バンクとの競争が激化したことにより,投資銀行の事業環境が大きく変貌した。これらの変化を投資銀行発達史の中に位置づけた。投資銀行が伝統的な営業活動とは異なる高収益をもたらす事業に着手せざるを得なかったことが,後のリーマン・ブラザーズ社の経営破綻の伏線となったことを示した。
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