当該年度は当初の予定を大きく変更せざるを得なかったものの、確固たる研究実績が出すことができたと総括できる。 本研究は令和元年度で終了する予定であったが、「本務校における業務が想定以上に多忙を極める中、研究成果を国際学会で発表するための準備が必要になり、遺憾ながら本年度の当初計画を達成することが困難な状況となり、来年度は長期研修の機会が与えられ、研究を円滑に遂行できる見込みを理由として研究機関の延長を申請」し(平成2年1月17日付補助事業期間延長承認申請書より抜粋)当該年度を迎えた。当初の予定では、長野県岡谷市に存在する当該研究に関する原史料を調査する予定であった。かかる状況下、コロナ禍が発生した。研究の協力を要請する先は高齢者が多いため、世間的に感染蔓延地域と認識された東京都、それもクラスターの発生が連日報道された新宿区に所在する本学の教員を現地で受け入れることに対しては強い拒否感があった。その結果、研究代表者は当初の研究計画を大きく変更することを余儀なくされた。そこで研究代表者は、研究課題である「製糸金融における倉庫の役割ー諏訪倉庫からみる第十九銀行の繭担保融資」をこれまで収集し分析した史料をもとにグローバルな文脈で捉え直し整理するとともに、論文化することに挑戦した。そのためにグローバルヒストリーの研究蓄積及び最新の動向を東京大学経済学研究科の研究会に参画すること等を通して習得し、地域金融史として限定的に認識されていた諏訪地方の製糸金融を再構築することに傾注した。 当該研究は経営史・金融史の専門家に加え意外にも国際関係の研究者から注目され、『国際関係と国際法』(小和田恆国際司法裁判所裁判官退官記念論集)へ招待論文の依頼を受ける運びとなった。その結果誕生したのが「グローバル化の衝撃と日本における近代金融の成立ー知識の吸収から創造へー」(本年中に信山社から刊行予定)である。
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