30年度は、引き続き史料の収集・分析および関係する研究者との意見交換を行うとともに、代表者と分担者において、研究のとりまとめを行った。 詳細は研究成果報告書で述べるが、研究開始時に想定した、第二次世界大戦直後は「小規模でも高度な技術を活用する革新的な企業を含む多様な製造業が創出される環境が当初は存在した」が、「次第に有力中小製造業を下請部品製造に収斂させた」という構図は、多少の修正が必要なことが判明してきた。たしかに、軍需を含む既存産業の崩壊は、技術者の放出や技術者の就職難につながった。よって、職を失った(あるいは得られない)技術者が、自らの技術を活用するために受動的ながらも創業するという環境が生まれたといえる。しかし、こうした技術者に創業を強いる環境は、民間部門の急回復と学制改革の混乱を含む技術者供給の不足により、きわめて短期間に消滅したと理解するほうが妥当と思われる。 また、軍事技術のすべてが民生部門に単純に移転できたわけではないことも、明らかになってきた。30年度の研究では、たとえば、マイクロ波の技術も、それを用いた調理装置が設計されたが、需要が見込めず、実証装置の開発さえ行われなかった。つまり、マイクロ波部門での研究,製造の経験を積んだ人材は、保有する技術を直接民生部門に持ち込んだわけではなく、戦後の技術習得や発展の基盤となったと限定的に理解すべき事が分かった。 このように、少なくとも第二次大戦後の日本では、軍事部門の技術を用いて民生品事業を起こすことは困難であり、技術者による創業が増えたわけではなかった。しかし、放出された技術者は民間各分野において製造や開発の重要な担い手になり、技術者の不足は技術者の供給を増やす具体的な取り組みを促した。創業や狭義の技術移転とは異なる面で、産業や教育に影響を与えたと考えている。
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