2019年度は,鐘紡の人事名簿を用いた賃金の学歴格差の推定を主に実施した. まず述べておく必要があるのは,本研究で作成したデータセットに,学歴の操作変数として新たな変数を追加する研究プロジェクトが始動していることだ(科研番号19K01719).労働の配分および賃金を決定する内部労働市場の推定が本研究の目的であるが,学歴の影響が深く根を下ろしていることから,新プロジェクトに引き継がれて研究を進めていく計画である. ただ鐘紡の非学卒者に関しては,史料上の制約から変数の追加の見通しが立っていない.そこで,新プロジェクトの妨げとならない,鐘紡の非学卒者と学卒者の比較を中心とした研究の成果を2019年度に学術雑誌に投稿した(現在査読・修正中).当論文では鐘紡の1937年の人事名簿を用いて,学歴に基づく賃金格差の推定を行っている.他を統制すれば学卒者と非学卒者の平均賃金の格差は戦後と比べて大きくないこと,学卒者と非学卒者の賃金分布は重なっており,「学歴身分制」で描かれるような分断の構造は見られないことを示し,学歴格差を強調する先行研究に対し一石を投じる結果が得られている.更に,当時の鐘紡の企業経営との適合性を指摘することで,観察された賃金構造は戦略的経営の帰結として解釈され,分析結果の一般化の可能性を示した.なお,この研究成果は2019年度に組織学会九州部会で報告する予定であった(コロナ禍により2020年度に延期). 研究期間全体の研究の成果として,上記のほかに「戦間期鐘紡職員の処遇の決定方法:その実態と機能」「賃金はどのように決まり,どのような特徴があったのか:構造方程式モデリングを用いた戦間期紡績会社の職員名簿分析」がある.共に,類書の少ない,歴史的資料を用いて戦前の日本企業の人的資源管理を定量的に明らかにする点が評価されており,特に後者は日本労務学会で研究奨励賞を受賞している.
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