当年度は、法学における株式本質論や経済学における契約理論にも目を向けながら、従来の会計主体論の意義を再検討した。現行の会計制度は、基本的には、会社法上の企業所有者である株主を残余請求権者とみて、最終的な残余として株主に帰属する利益を測定している。その意味において資本主説が採用されており、そこでは、株主以外の利害関係者、すなわち、債権者、従業員、経営者等の企業成果に対する取り分はすべて費用として処理される。この資本主説は、法学における社員権論、すなわち、株主の権利を所有権の変形物としたうえで、自益権を所有権の収益権能の変形物、共益権を所有権の支配権能の変形物とみる理解と整合的である。また、資本主説は、残余利益を最大化するインセンティブを持つ株主に企業資産に対する支配権を与えるのが効率的とする経済学の理解とも合致している。 しかしながら、所有と支配の分離を背景に、法学では社員権否認論が主張され、経済学においても株主以外の残余請求権者の存在を想定する不完備契約理論が展開されてきたことには特に注目しなければならない。本研究では、そのような法学および経済学における議論と会計主体論との接点を明らかにし、Anthony(1984)の企業主体説を再評価した。この企業主体説は、株主に帰属する利益をさしあたり株主資本コストに見合う額に限定し、それを超過する利益は企業組織自体に帰属するものとして処理する考え方である。事前には誰がどれだけ請求できるのか特定することのできない企業成果が残余利益であり、その分配が事前の契約ではなく事後の交渉に委ねられるとすれば、株主持分とは別に暫定的に企業持分を認識する意義が生まれる。こうした残余利益の分配という観点から、本研究では、具体的な題材として役員賞与の会計処理についても検討した。
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